単に商品を流通させるのではなく、人が幸せに暮らしていける環境づくりを、商社として応援する…わたしたちシンエイ・ネクサスの企業としての理念です。
およそ百年前の東京の暮らしはどんなものだったのでしょう?
電気の明かりはあっても、いまの明るさとは比較になりません。家庭ではランプも併用していました。
夏の暑さは過酷でした。明治35 年(1902)には電池式の扇風機も発売されていますが、一般市民はもっぱら人力のうちわや扇子に頼るだけ。夜は雨戸を開け、蚊帳を吊って寝ていました。家そのものは、木と土と紙でできていました。晩年の正岡子規は、病臥していた部屋に友人たちがガラス戸を入れてもらい、大喜びしたものです。これで寝ながらも、庭の季節のうつろいを眺めることができると。ガラス戸はそれほどに贅沢なものでした。
これが20世紀初頭の、一般家庭の暮らしぶりだったのです。
それからわたしたちの暮らしぶりは、どんなに変化したでしょうか。私たちシンエイ・ネクサスが、住環境のためのさまざまな商品の流通販売事業に着手してからも、すでに70年以上が経っています。このあいだでさえ、商品の質的向上や進化には目を見張るものがあります。いまの冷暖房空調機器や給湯器、システムキッチンなどは夢のまた夢でした。
人に優しい暮らし。心豊かな暮らし。
単に商品を流通させるのではなく、人が幸せに暮らしていける環境づくりを、わたしたちは商社として応援していきたい…それこそが、わたしたちシンエイ・ネクサスの企業としての理念なのです。
絶えず変化しつづける大都市東京の景観。ちょっと見ないあいだに、人目を引く新しいユニークなビルが建っていたりして、驚かされます。
じつは、わたしたちシンエイ・ネクサスもそんな変化する東京の景観づくりにひそかな貢献をしています。
華やかな外観の中。そこにはさまざな用途を担った管材が縦横に張りめぐらされています。それらの管材をわたしたちが提供しているのです。
ガラス張りがユニークな南青山のプラダのビル。東京の名所となった六本木ヒルズ。大規模なスポーツ施設。その一部にもわたしたちが準備した管材が使われています。地下鉄やJRの駅、警察署、交番、マンション、著名な施設、再開発計画。普段目にしたことがある建物にも、わたしたちがお届けした管材や設備が入っています。
小さな貢献だと思います。しかし、それはいずれもなくてはならない都市のパーツなのです。同時に、今という時代の必需品なのです。
街にはわたしたちの小さな活躍が埋め込まれています。わたしたちにはそうした仕事のひとつずつが、都会のきらめくアクセサリーのように思えるときがあります。
人々が快適な空間で暮らしたいという欲求は、ますます高まりつつあります。事実、よりよい設備が次々とつくられ、人々の望みをかなえてきました。
また、少子化が進み、住宅の着工件数こそ減少しつつありますが、質の向上を求めたリフォームの件数は増加しています。
高齢化も住宅設備を大きく変えつつあります。高齢者が安心して暮らせるバリアフリーの住宅。さまざまな設備が高齢者の立場に立って検討され、使いやすくつくられています。かつては夢のようだったホーム・エレベーターですら、徐々に普及してきています。
新エネルギーにも対応した給湯器やシステム・キッチン。ユニット化した浴室。こんな設備も、数十年前までは考えられもしませんでした。
首都圏では、画一化した設備はなかなか収まり切らないケースもしばしばです。そんなときは、環境に合わせた細かな配慮も必要です。
こうして見ていくとわたしたちシンエイ・ネクサスの仕事はいっそう大事になっていくのだと確信します。都市と時代のためのスタッフ。それが、わたしたちシンエイ・ネクサスです。